つながるしくみ

ためまっぷによる情報インフラを整備中

地域で行われるさまざまな市民活動や各種資源などの地域情報を公開し、生活域を見える化するインフラづくりとして、全国各地でその地域の情報を簡単に見ることができるようにしています。

まずは、ためまっぷを活用し、情報を提供したい団体等が主体的に情報を掲載します。

ためまっぷの機能によって情報公開の方法を簡単にすることで、これまで埋もれていた多くの情報を簡単に見つけることができるようになります。
それにより、身近なところでどんな活動があり何があるのかが見えてきます。

地域が見えてくることで住民の意識を地域に向けることができ、意識が向けば活動への参加など、行動を起こすことができます。

そして、一人ひとりの行動が増えれば、次第に地域は活性化し交流の機会が増え、その結果として暮らしやすい安心・安全なまちになります。さらに、あらゆる活動に相互補完的な相乗効果を期待できます。

住民主体のまちづくりを応援

リタイア世代や高齢者も含め社会参加に関心の少ない人たちにも、もっと社会で貢献してもらうためのエンパワメント(元気づけ)の活動が増えます。

人口が減少する成熟社会に必要な、これまでの“ムラ”社会とはまったく違う新しいコミュニティを作っていけるよう取り組みます。

その先は、世界中(貧困国も先進国も)の小さな生活域の活動が知れる状況になります。
そのときには国内で私たちが行う生活域の善意の小さな活動と同じものが世界のあちこちでお互いに見れるようになっています。
国境も文化も人種も越えて、同じ人の営みを知って争いが減っていくことを目指します。


有識者ご寄稿

シティプロモーションの権威 河井孝仁東海大学教、ローカルメディア・
公共コミュニケーション研究者の佐藤忠文先生のお二方に、
「みんなのまちの掲示板 ためまっぷ」についておうかがいしました。

ためまっぷ」は、「本来」のシティプロモーションを実現する道具となる

河井 孝仁 教授
東海大学文化社会学部広報メディア学科教授、博士(情報科学)、公共コミュニケーション学会会長理事
シティプロモーション、地域情報論、行政広報論を専門分野として、地域住民が持続的な幸福を獲得するための手法を広報・メディアの視点から研究。地域の魅力を地域内外に訴求し、必要な資源を獲得するシティプロモーションを核とし、そのための行政広報、ソーシャルメディアの活用、地域マーケティングを研究内容としている。

 シティプロモーションという言葉がある。定義としては「地域を持続的に発展させるために、地域の魅力を創出し、地域内外に効果的に訴求し、それにより、人材・物財・資金・情報などの資源を地域内部で活用可能としていくこと」になる。
ここで注意したいことは、シティプロモーションを単なる「宣伝」という表面的な取り組みとして見るのではなく、何のための「宣伝」なのか、何を「宣伝」するのか、どうなったら、いい「宣伝」なのかという視点を持つことである。
この点に着目して、シティプロモーション2.0という発想がある。そこでは、①地域における「ライフスタイル」をブランドとして提起し、訴求する、②地域にとって最も重要な資源を、地域に関わる「意欲」として把握する、③資源としての意欲を、地域参画総量という「定量化」によって把握する、④意欲を意欲のままにとどめず、地域に関わる人々の幸せ自認につながる「状況」をつくりだす、という4つのポイントが重視される。
このポイントをなおざりにした、人口という頭数の獲得だけに終始した「疑似」シティプロモーションは、地域への関与意欲のない「顧客」争奪のための消耗戦になる。そして、戦いの勝利に向かっているのかさえも分からないまま、消耗を続けることになる。そうした取り組みは、土地に関わる人々が営々として築きあげてきた地域の力を損耗させる。
この点から「ためまっぷ」を考えてみよう。「ためまっぷ」は「地域資源の見える化により、つながりを再編し、持続可能な地域共生社会を実現する」ためのツールとして運営されている。まさに、本来のシティプロモーションを実現する道具となる。
「ためまっぷ」は地域のイベント情報を中心に、地域資源マップや地域課題マップ、さらにデジタル回覧板として機能できる。そこに見えるものは、まさに地域の「ライフスタイル」である。

「ためまっぷ」の基礎になる情報ソースが、地域で配布され、地域に置かれるチラシという紙媒体であることも重要だ。それらのチラシは、それぞれに思いを持ち、広い意味での地域関与への「意欲」を持つ人々によって創りだされている。一方で、チラシは散逸しやすく、時系列に十分に整理された形で一覧することが難しい。また、時間の経過によって変化していく情報を掲載することも得意ではない。

「ためまっぷ」はこうした人々の地域への関与意欲を、十分に整理された形で一覧化する。しかも、多様な状況によるイベントの中止、変更があった時にもタイムリーに提供できる。
「ためまっぷ」の力によって、地域への関与意欲を持つ人々の思いは無駄にならずに地域の人々に届いていく。それによって、情報を発信する人々も、情報を受信する人々も、自らのやりがいを得て、地域における能動的な幸福という「状況」をつくりだす基礎を培う。
地域資源を消耗する顧客獲得合戦ではなく、地域が持つ、それぞれに特有な力を増進させる取り組みを行う。地域の人々が自らの暮らしによって培ってきた「知層」とでもいうべき「よってきたる由縁」を大事にする。そうしたシティプロモーション2.0にとって「ためまっぷ」はきわめて貴重な可能性を持っていると考えている。
2020.11.30

[より暮らしに合った現実的なサービス]。「ためまっぷ」は、その本命かもしれない。

佐藤 忠文 先生
九州産業大学地域共創学部地域づくり学科講師、公共コミュニケーション学会理事
熊本県生まれ。病院事務として勤務のかたわら熊本県菊池市の住民参加型まちづくりに参画。一念発起し、地域おこし協力隊を経て2015年より熊本県立大学特任講師として地域人材養成プログラムの構築を担当。2020年4月より現職。ローカルメディアをはじめ住民と行政また住民間の公共的なコミュニケーションを研究対象とする。博士(芸術工学)、社会情報学会員

「ちょっと」にちょうどいい。

例えばこんな経験は無いだろうか。近所でのイベント開催に気がつかず行きそびれた。近くに新しいお店ができたと思ったら開店○周年だった。公園にひとが集まっているけれど、あれは一体何事だろう?
知っていたら。気が付いていれば。
見渡せば暮らしのあちこちに、そんなタラレバが見つからないだろうか。
あるときそんな話をしていると「いまは情報を獲りに行く時代なんだから。」と諭されてしまった。新聞購読率の減少が示すように、情報の配達を待つ時代は確かに過ぎた。他方、私たちはインターネットなかでもソーシャル・メディアを使い、情報収集とチャットに余念がない。電子化されたネットワークからはいくらでも情報が引き出せる。ただ何時間もスクリーンを見つめる行為に、疲弊してきたのも事実である。

暮らしのなかで私たちが知りたいことは「ちょっと」したものが多い。週末近所で子どもと遊べるイベントとか、来月あるはずの町内清掃の日時とか。慌てて尋ね回るほどではないが、わかると助かる、気にかかる。そんな情報が多い。
しかし、そういった類いの情報をネット上から得るのは案外困難である。なぜだろうか。理由はある程度推測できる。そもそも狭い範囲に伝われば良い内容だからネットで拡散する必要がないとか、利用者が固定的だから基本は「身内」だけに情報を伝えているとか。さらにこういったケースは、広報活動のサイクルが短いことがままある。極端な場合は来週のイベントを今週告知するといった状況が生まれかねない。そうなると情報が届く頃には時期が過ぎていた、なんてことが起こる。

ではこの困難は情報を出す側の怠慢なのだろうか。そうとは言い難い。思い浮かべていただけると幸いだが、みなさんはお住まいの地域の情報をどうやって得ているだろうか。新聞の地域面やテレビのローカル番組、自治体発行の広報紙やフリーペーパーなどの雑誌、町内会の回覧板・掲示板、もちろんご近所や友人とのおしゃべりからも得ているだろう。そしてこれらにインターネットが加わり、それはSNSなど各種サービスにわかれ・・。考えれば、かなり複雑なことがわかる。

情報を出す側もできれば多くのひとに知って貰いたいのはやまやまだ。届かないひとのなかに、本当にその情報を必要とするひとがいることも感じている。しかし限られた資源ですべてに対応した広報活動はできない。それにも関わらず、住民は前述のメディアから自由に情報を得る。それは計画的でもなければ、網羅的でもない。そうなるといったいどうやって情報を出せば必要なひとに届くのか、という問題の解決は相当に厄介と言える。もし無理に答えを求めるなら、現場の努力次第としか言いようが無くなってしまう。

実はこの地域社会という狭い範囲での情報伝達は、古くから取り組まれてきた問題と言える。例えば、町内会の掲示板や回覧板がある。これらは江戸期以前の「高札」や「廻状」などが変化したものと考えられるが、地域社会の情報伝達解決のために整備された仕組み、手段である。そしてこのような手段は社会が情報化を始める1960年代頃から、当時ニューメディアと呼ばれた情報通信技術を応用する方法が模索された。そして、パソコン通信を経てインターネットが登場すると、BBS(電子掲示板)さらにはSNSを利用した手段が試みられた。

そのなかで、2000年代半ばに登場したものに「地域SNS」がある。これは一定地域の住民等が参加するSNSで全国各地に整備された。そもそもSNSは情報伝達が目的のツールではない。しかしそこに地域社会の情報伝達が期待されたのも事実である。ただし地域SNSは、その後に多種のソーシャル・メディアが登場すると廃れていった。そして以降、グループ単位でのチャットサービス、写真や動画投稿中心のグローバルなSNSが流行するなか、地域単位の情報伝達ツールとして地域SNS以上に普及した手段は登場していない。

さて前置きが長くなったが、これらの視点で「ためまっぷ」に触れると「ちょうどいま、こんなのが欲しかった。」という気持ちになる。「SNS疲れ」という言葉があるが、情報伝達という視点だけからみるとソーシャル・メディアは利用者負担が大きい。もちろん広報活動全体のなかでそれは有用なツールだ。しかしちょっとチラシを掲示しておこうとか、ちょっと散歩に出た先でそのチラシが目に入ったとか、狭い地域社会だからこそ持ち得ていた偶有性を、いまソーシャル・メディア中心のネット社会は過剰に演出してはいないか。その点「ためまっぷ」は私たちの暮らしの「ちょっと」にちょうど良い。

1970年代、多摩ニュータウンで一つの実験が行われた。「多摩CCIS実験」というこの実験は、ニュータウンの住民を対象にケーブルテレビの多目的利用調査として行われた。実験では「有料テレビサービス」や「リクエスト静止画サービス」といった現代に通じるサービスが構築された。当時の人々からすればSFの世界に映ったことだろう。

さてこれらサービスの一つに「メモ・コピーサービス」がある。これは「市からのお知らせなど,メモ1枚で役立つような日常的な情報を,手書きで葉書サイズのハードコピーとして送信するサービス。」(郵政省,1978年,56ページ)とある。一見地味なこのサービスだが、実はこの「メモ・コピーサービス」が他を抑えて総合評価1位を獲得してしまった1)。同実験はこの点をあまり重視しなかったようだが、当時の一般社会からすれば夢のようなサービスが日常になったいま、私たちは意外にも当時の人々と同じような感触を得ていないか。すなわち私たちは、過剰に演出された夢のようなサービスではなく、より暮らしに合った現実的なサービスを求めている。

情報社会がこれほど進展しても、物理的な掲示板や回覧板はなくならなかった。ある意味でそれは、これらに置き換わるほどの現実的なツールが世の中に未だないことを示している。「ためまっぷ」の挑戦は始まったばかりだが、多摩の実験から半世紀を経てやってきた本命かもしれない。その真価の発揮に期待したい。


1)実験の報告書によると、評価の低かったサービスでは、放送されるコンテンツが期待外れ(古い映画など)だったり、画質が悪かったり、また機器が故障したりといった原因があったようだ。この点も現在に通じるものがある。サービスの新規性と満足度は、必ずしもイコールではない。

参考文献
(財)生活映像情報システム開発協会 生活情報システム開発本部『多摩CCIS実験報告書』1978年.
郵政省編『昭和53年版 通信白書』1978年.
202012.02